C. 哲学すること
C.1. 思いの丈をつくり、つくり変える
C.1.1. 哲学することとは、思いの丈をつくり、つくり変えるという経験だ、という考えを、私は持っています。哲学研究において、しばしば日常的な言葉を哲学上の概念として使うときがありますが、私はこの「思いの丈」という言葉を、その使い勝手の良さから、哲学対話の場などでよく使っています。
C.1.2. まず、「思い」とはなんでしょうか。私は「思い」とは、日々、嬉しい、楽しい、悲しいといった感情に加え、これが大事だ、これが正しい、この方が善い、あるいはこれが美しいと感じられた経験によって、まるで雪が降り積むように積み重なっていく感覚・思考・判断のまとまりではないかと、考えてみています。
C.1.3. 実際、「思い出す」という経験について考えてみると、これは単に過去の出来事を正確に描き出すという経験ではない印象があります。自身のなかに降り注いできた多くの感情、感覚、思考、判断のまとまりが、ふと取り留めなくいろんなかたちで出てきてしまうような、そんな流動的な経験であるように感じます。
C.1.4. このように流動的な思いの「かたち」を捉えるべく、私は自分も含めた人の思いを「思いの丈」として捉えて、どんな論理がそのなかで展開されているかを見ていこうとしています。が、いきなりそんなふうに言われても、何が何やら、よくわからないと思われます。
C.1.5. そこで「思いの丈をつくる」という経験を、以下の3つの経験から構成されていく経験であると考えていますと、お話ししています。ここでは、その概略について、お伝えします。
C.1.6. まず「思いの幅」という言葉で、この世界の出来事についてその人自身が感じている、「思い」の拡がりを見ようとします。
C.1.7. いわゆる「経験の幅」が、その人の「思いの幅」の拡がりに影響を与えることもありますが、そうでない場合もしばしばあるため、「経験の幅」とは異なる意味合いで、「思いの幅」という言葉を使っています。このことについてはまた、別途お話しします。
C.1.8. 次に、「思いの嵩」と「思いの軸」。この世界の出来事について感じている思いが、積み重なり、繋がって、なんらかの方向性を持つようになっていく。まさに「思いの丈」が、なんらかの方向性をもった「かたち」のように形作られていく過程を、この2つの概念で見ていこうとします。
C.1.9. 「思いの幅」「思いの嵩」「思いの軸」。この3つの概念を通じて、私はその人がこれまでどんな出来事について思いを拡げ、重ねてこられたのか、あるいは拡げることも重ねることもできない状況を生きてこられたのかについて思いを馳せて、自分の思いの幅を動かし、重ねて、軸を探っていきます。
C.1.10. 言い換えれば、その人の思想をなんらかの強弱やラベルで断罪するためでなく、その人の生きてきた人生の経験に裏打ちされたものとして理解するために、この「思いの丈」モデルを用いています。
参考文献
桐田敬介『哲学対話入門』enfac URL = https://www.enfac.co.jp/contents/pd/ (2026年10月23日確認)